この句はおそらく東北の旅を終へて歸つた時の句であらうと思ふ。子規は元來朝寢坊であつた。それといふのも、夜更かしをして仕事をする癖があつたので自然朝寢をする傾きになつたものであらう。子規の留守中はお母さんも妹さんも、朝早く起きて拭掃除も早く出來る日がつづいたのであるが、子規が歸つて來ると、旅疲れもまじつて忽ち朝寢坊の主人がある家になつた、と云ふことをいつたものである。
朝顔は立派な花をつけている。漱石は新たに文學士になつてやつて來た、といふだけの句であるあるが、子規も大學につゞけて居さへすれば共に文學士となつたのである。自分から好んでゞはあつたが、併し病氣のためもあつて、大學を中途退學した。「前にも「孑孑の蚊になる頃や何學士」といふ句があるやうに、もとの同窓生が何學士といふ肩書を背負つて世の中に出て來るのを見ると、多少の感慨が無いでもない。殊に親しい交りを呈した漱石が、文學士といふ肩書を持つてけふ改まつて子規のところへ來た、といふやうな感じである。
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句碑には「朝顔も入谷へ三日里帰り」という句も書かれていたが、誰の句か分からない。
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入谷鬼子母神の朝顔まつりは、毎年7月の6〜8日の3日間開かれる。
