正岡子規の句碑
短夜の雲収らす安達太良ね
明治6年(1873年)8月、南杉田八幡神社に仮学級を設置。 明治26年(1893年)7月22日、正岡子規は安積沼を見に行く。 |
二十二日朝、淺香沼見んとて出でたつ。安達太郎山高く聳えて、遥かに白雲の間に隠約たり。土俗之を呼んであだたらといふ。 短夜の雲をさまらずあたゝらね |
短夜の 雲収(おさま)らす安達太良ね |
正岡子規名は昇伊豫松山の人明治俳壇の先覚者なり明治廿六年六月俳聖芭蕉の奥の細道を慕ひ辿りて南杉田の遠藤菓翁氏(久五郎)を訪ふ歓談盡るなし遂に一夜の縁りをとゞめ数々の筆蹟を遺す依て之を記し以て此の一筋につながる道しるべとなす 昭和廿七年九月 子規居士五十一回の忌に因りて
風来子識 |
南杉田の遠藤菓翁氏をおとづれけるに快く坐に延きて款待いと懇なり。氏は剛毅にして粗糲し失せず樸訥にして識見あり。我れ十室の邑に斯人を得たり。談ずる事少時驟雨沛然として至る。氏いふ、僻境何のもてなしも無し。一椀の飯半椀の汁漸く飢をさゝふるに足るのみ。されども蠅蚤の間に一夜を明かし給ふも亦一興ならんと。勸めらるゝまゝに終に一泊に決す。 |
明治30年(1897年)5月、この地に杉田小学校舎建築。 明治35年(1902年)9月19日、正岡子規歿す。 昭和27年(1952年)11月23日、安達太良俳句会建立。鼠骨書。 昭和55年(1980年)12月、旧杉田中学校跡地に新校舎建築。 |
安達太良の 山と川とに はぐくまれ 巣立ちし 児童の 幸を祈りて |