2021年滋 賀

市民文化会館〜碑巡り〜
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JR湖西線大津京駅下車。

市民文化会館に向かう。

大津市役所の前に万葉の歌碑があった。


さゞなみの
 志賀の大わだ
  よどむとも
 昔の人に亦も
  逢はめやも

『万葉集』(巻第一)、柿本人麻呂の歌である

昭和42年(1967年)3月、新庁舎完成のときに建立。

近江神宮宮司平田貫一揮毫。

市民文化会館駐車場へ坂を上ると、右手に一指の句碑があった。


さざ波の
  きらめきよする
    良夜かな

昭和54年(1979年)3月1日、せゝらぎ会が傘寿の祝いに建立。

左に北田夏生の句碑。


飄々と
土手来る
父の夏帽子

平成28年(2016年)5月、花藻社創立70周年記念事業で建立。

さらに上ると、右手に鈴鹿野風呂の句碑があった。


大琵琶の
 八十の浦なる
  浮寐鳥

昭和36年(1961年)2月、建立。

左に水原秋桜子の句碑。


浦曲(うらわ)まで
  月夜くまなし
    鴨わたる

第15句集『旅愁』所収の句。「大津市に建つべき句碑のために」とある。

昭和35年(1960年)11月6日、滋賀県馬酔木会建立。

『秋櫻子句碑巡礼』(久野治)によれば、第10番目の秋桜子句碑である。

市民文化会館駐車場から階段を上ると、「歩兵第九聯隊跡」の碑があった。


さらに階段を上ると、市民文化会館の裏に「若鷲の碑」があった。


大津陸軍少年飛行兵学校跡

若鷲の記

 大津陸軍少年飛行兵学校は、太平洋戦争が苛烈の度を加え、その戦域が益々拡大された昭和17年10月、航空戦力増強の要請に応じ東京陸軍航空学校大津教育隊として此の地に開設され、翌18年4月、大津陸軍少年飛行兵学校に独立した。

 当時15・6歳の少年たちは、祖国存亡のとき、陸軍航空の期待と栄光の重責を担い、「至誠・純真・元気・周到」の校風のもと、炎熱の朝、酷寒の夕、琵琶湖畔に、長華山麓に、幹部要員として徹底した1カ年の基礎訓練に励んだ。その数、第13期生から第20期生に至るまで八千有余人、ついで、操縦・通信・整備の各上級学校に学び、若鷲となって大空に巣立ち、北辺の空に南溟の果てに、本土防衛のさきがけとなって愛機と生死を共にした。

 昭和20年8月、戦いは終り、これらの出身者、また未だ学業半ばの者は、ともに全国に離散し、本校もまたその歴史を閉じた。

 往時芒々、戦後30年、教えし者、教えられし者相つどい、かつて青春のすべてを抛げうった想い出深きこの地に、永遠の平和を願って、茲に「若鷲の碑」を建立する。

大津陸軍少年飛行兵学校関係者一同

JR湖西線大津京駅


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