蝉丸神社は、「逢坂山の関の明神」ともいう。 逢坂山峠の頂上にあるこの神社は、「蝉丸神社」と呼ばれている。近隣に「関蝉丸神社」の上社・下社がある。 醍醐天皇の第四皇子「蝉丸の宮」は幼い頃から盲目となり早く世を捨てた琵琶法師となって、この地、逢坂山の草庵に住み、往還の人々に琵琶を弾じて世を送っていたという。蝉丸神社は、この蝉丸さんを祭神とする神社であると伝えられている。 謡曲の「蝉丸」をまた「逆髪(さかがみ)」ともいう。醍醐天皇の第三皇女「逆髪の宮」(蝉丸の姉)は、前世の因縁から頭髪が逆さまに生え立っていたといい、世を捨てて流転の生涯を世を送っていたが、ここ逢坂山で、偶然にも弟蝉丸の宮と巡り会う。姉妹は互いの哀しい運命を宿縁の因果と嘆きつつ、再び姉宮はこの地を去り、二人は別れていく・・・という今昔物語を出典としたこの謡曲は、この人の悲しい人生譚として現代に語り伝えられている。 |
明治23年(1890年)8月28日、正岡子規は上京道すがら大津に宿り、近江の月を眺めようと逢坂山に行き、それと知らず蝉丸神社に詣でた。 |
つぐの日宿の主人に向ひ昨夜月にうかれて行き行きて逢坂山に行きしに月は山に隠れて見えず山の上に茂りたる木立ありて燈をともしたるは御社にもやと石だんを上れは果して堂あり 靜かさいはんかたなく杉の木間もる月をながめて歸れりといへば主人そは蝉丸のやしろなりといふ さるみやしろとも知らでこゝに詣でたるも他生の縁なるべし 木の間もる月青し杉十五丈 |