2021年滋 賀

浮御堂〜湖族の郷文学碑〜
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大津市本堅田に湖族の郷文学碑があるというので、探してみた。

高浜虚子の水中句碑


浮御堂


  滋賀の夜雪

さざなみの滋賀の夜酒はあぐらゐて堅田の鴨を煮つつ酌むべし

酒みづくわが太腹や住みよけむ堅田の鴨よ安らかに居れ

『天 彦』

湖族の郷文学碑


城山三郎

『一歩の距離 小説予科練』より
(昭和43・3,『別冊文芸春秋』発表)

 浜松に艦載機の来襲があってから、大津航空隊でも、空襲警報の度に九四水偵を避難させることになった。十五機が一斉に飛び散って、湖岸の茂みの中へ隠れる。…上尾たちは、(中略)飛び乗り、全力で滑走し、離水・着水して逃げ込む。上尾機の避難先は、浮御堂の少し先の芦の原の中の水路であった。芦は二メートルから三メートル近くものびていた。

 グラマンが来た。低空に舞い下り、執拗に追いかけて来た。上尾機がその水路へ飛び込む。またプロペラが廻っている時、機関砲弾が眼の前の芦を薙ぎ倒して行った。上尾は思わず水に飛び下りた。(中略)足の茂みの先には、浮御堂の反った屋根が、夏の日に光っていた。

(文春文庫による)

昔読んだことがあるが、その頃は浮御堂を知らなかった。

堅田漁港へ。

湖族の郷文学碑


三島由紀夫

『絹と明察』(昭和39・1〜10,『群像』連載)

 浅橋につく。左方の繁みから、浮御堂の瓦屋根が、その微妙な反りによって、四方へ白銀の反射を放っている。…町長の先導で、一行は窄(せま)い堅田の町をとおって、浮御堂のほうへ歩きだした…。ほとんど蘆におおわれた川面にかかる小橋をわたる。蘆のあいだに破船が傾き、その淦(あか)が日にきらめき、橋をわたる人の黒っぽい背広や黒のお座敷着は、袂の家の烈しいカンナや葉鶏頭の赤によって敵(うつ)った。(中略)

 一行は軒先に午後の日ざしが当たった古風な郵便局の前をとおった。まだ去らぬ燕の巣も軒にあって、乱れた藁の影を壁に映していた。その道を突き当って、左折すると、そこがもう浮御堂である。

(集英社文庫による)

三島由紀夫は、ほとんど読んでいない。

JR湖西線堅田駅


大津京駅へ。

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