種田山頭火の句碑
伊豆はあたたかく野宿によろしい波音も
種田山頭火は昭和11年4月伊豆の俳友をたずねる旅をした。生前の山頭火と親しく、死後その顕彰につとめた大山澄太氏の揮毫により句碑の建立となる。 |
昭和11年(1936年)4月22日、種田山頭火は下田にやってきて、まず玉泉寺を訪れた。 |
四月二十二日[続] 花時風雨多、まったくその通りの雨風だった。 下田近くになると、まず玉泉寺があった、維新史の第一頁を歩いているようだ。 |
山頭火には伊豆半島の旅もあった。それは昭和十一年四月、伊豆の俳友松木一郎・土屋兎子・佐藤専子などを訪ねて、好きな温泉と酒で一浴一杯を楽しんだ十日間の旅である。 それから四十五年後、大山澄太氏はその足跡を伊豆から下田へと訪ねて泰平寺に宿泊した。伊豆の仏現寺にある日本三大句碑の一つである荻原井泉水師の句碑と並んで、伊豆に山頭火の句碑があってもよいといわれ、山頭火生誕百年記念に泰平寺境内に建立した。
(安藤瑞岳) |
伊豆はあたゝかく死ぬるによろしい波音 ノンキだね! 今夜は沼津、明日は箱根、明後日は層雲中央大会へ、ゼイタクだね、いづれまた。
昭和11年4月24日、木村緑平宛絵ハガキ |