種田山頭火の句碑

けふから田植をはじめる朝月

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南砺市上川崎に「サカタニ農産」がある。

「サカタニ農産」の前に種田山頭火の句碑があった。


山頭火の8句が刻まれていたが、一部は読めなかった。

けふから田植をはじめる朝月
青田いちめんの日輪かゞやく
炎天の稗をぬく
稲の葉ずれも瑞穂の國の水の音
みんなではたらく刈田ひろひろ
飯のうまさもひとりかみしめて
最後の一粒をいただく
いただいて足りて一人の箸をおく

 昭和5年(1930年)11月6日、種田山頭火は三重町から竹田まで歩く。

・飯のうまさもひとりかみしめて

・最後の一粒を味ふ


   飯のうまさもひとりかみしめて

どうも独りよがりの句になりがちで困ります、これから湯ノ原、湯ノ平、由布院、森町と歩きますが、御地着の日時改めてまたお知らせいたします。

昭和5年11月7日、松垣昧々宛書簡

 「いただいて足りて一人の箸をおく」は昭和7年(1932年)『層雲』(6月号)掲載の句。

 昭和7年(1932年)6月19日、山頭火は下関市豊浦町の川棚温泉に逗留して行乞。

けふから田植をはじめる朝月

『行乞記(三)』

 昭和9年(1934年)11月3日、山頭火は山口市小郡の其中庵で。

みんなではたらく刈田ひろひろ

『其中日記(七)』

 「炎天の稗をぬく」の出典は『其中日記(八)』。昭和10年(1935年)8月19日の句である。

 「「稲の葉ずれも瑞穂の國の水の音」は昭和15年(1940年)の句。

しばらく御消息に接せず、御健在なりや、老いぼれの窺知し得ざるものなるにや、観羨(ママ)々々、小生は不相変頑健、頑健すぎて困るほどなり、それはそれとして小生も亦新生活体制を結成せざるべからざる場面に投げ込まれたり、いはばのんべい新様式ですね、――

   稲の葉ずれも瑞穂の国の水の音   山頭火

どなた様にもよろしくよろしく。

昭和15年8月9日、近木黎々火宛書簡

いただいて足りて一人の箸をおく

みんなではたらく刈田ひろびろ

炎天の稗をぬく

『草木塔』

 平成2年(1990年)3月2日、サカタニ農産社長酒谷実建立。撰書岡島良平。

行乞漂泊の生涯に沈□した自由自然律の俳僧種田山頭火去世して五十年、時しもサカタニ農産は創業廿五年を迎へ酒谷実は親友稲垣恒夫の佑助により山頭火の土の名吟八句を刻み回顧の記念とする

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