種田山頭火の句碑
円山公民館
木曾路 三句 飲みたい水が音たててゐた 山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる 山しづかなれば笠をぬぐ
『草木塔』 |
山頭火は山口県防府市の人昭和九年四月來飯今宮風越館の花月庵句会に臨み肺炎のため川島医院に入院九死に一生を得て其中庵に帰るその旧跡に此の碑を建つ 昭和五十八年十一月
山頭火を偲ぶ會 村澤武夫 |
この句碑は、放浪の俳人として知られる種田山頭火が飯田を訪れた時詠んだものです。「清内路から飯田町へ」と題した一連の句の中にあります。 昭和9年4月15日、木曽から清内路を経て飯田にやってきた山頭火は、今宮の風越館で行われていた『層雲』南信支部句会に突然現れました。『層雲』の選者で名の知れた山頭火の出現に一同感激しての句会でありました。 その席で山頭火は、峠越えで雨にうたれたのが原因で熱を出して倒れ、句会の中心者東新町の太田蛙堂宅で静養しました。蛙堂の献身的看護にも関わらず、容態は悪化し、肺炎と診断されて川島病院へ入院。7日後、九死に一生を得て郷里山口へ帰りました。 山頭火の俳句は、句碑のように五七五の定型に捉われない「自由律」で、残した俳句の評価は年々高まり、句碑の建立は全国各地で今に絶えない程です。 書は、山頭火の俳句が世に出るのに献身的な努力をした四国松山の大山澄太で、碑陰の撰文は、山頭火を偲ぶ会の発起人村澤武夫です。 此の碑は、山頭火生誕百年を記念して昭和58年に建立されました。 なお、同句の初稿句と思われる「山しつかなれは笠をぬく」の句碑が、清内路の一番清水に建てられています。
ふるさと文学碑研究会 撰 郊 戸 八 幡 宮 建 |
『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、43番目の山頭火句碑である。 |