種田山頭火の句碑
けふも托鉢こゝもかしこも花さかり
熊本市中央区坪井の報恩寺に種田山頭火の句碑があるというので、訪ねてみた。 |
昭和6年(1931年)2月5日、「味取在住時代 三句」のうちの1句。耕畝は出家名。 |
俳人山頭火は山口県の人で、早稲田大学で文学を学び、後に荻原井泉水に師事して句作に入った。大正14年、当寺第十六世望月義庵のもとで出家得度した。つゞいて植木町味取(みどり)の観音堂(瑞泉寺)に独住し、翌年には行乞漂泊の旅に出て全国を行脚した。その間に数多くの句と日記をのこし、これらの日記が今もなお多くの人々の心をとらえている。 昭和15年、松山市の一草庵で歿した。享年59歳。 この句碑は昭和61年10月友人の大山澄太氏により建てられた。 |
大正13年(1924年)の年末、山頭火は泥酔して熊本公会堂前の市街電車の軌道に仁王立ちになって、電車を止めようとした。その時、熊本日日新聞の記者が騒ぎを収めるため、報恩寺住職望月義庵に山頭火を託したのだそうだ。 |