種田山頭火の句碑
ほつと月がある東京に来てゐる
昭和10年(1935年)12月6日、山頭火は「庵中独坐に堪へかねて旅立つ」。昭和11年(1936年)4月5日、鎌倉より東京を訪れ、16日まで滞在。 |
東京をうたふ。 ほつと月がある東京に来てゐる 花ぐもりの富士が見えたりかくれたり ビルからビルへ東京は私はうごく ビルがビルに星も見えない空 ビルにて 窓へやつと芽ぶいてきた東京をうたう。 |
日暮里駅のすぐ近くの高台にあり、「月見寺」とも呼ばれている。小林一茶と当時の住職であった一瓢との交遊は有名で、文化八年(一八一一)一月に本行寺に宿りて詠んだ ・陽炎や道潅どのの物見塚 一茶 の句がある。この句碑建立のため一茶研究で有名な荻原井泉水に揮毫を願ったが、加減が悪く、その後、高弟の大山澄太氏が師に代って揮毫をした。 その折、大山氏は「一茶さんの隣りに山頭火の句碑を友人一同で建てたいので頼む」と言われ ・ほつと月がある東京に来てゐる を揮毫され二つの句碑が同時に誕生し、除幕と大山氏の記念講演を催した。
(加茂行昭) |
『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、63番目の山頭火句碑である。 |