種田山頭火の句碑
はるばるときて伊豆の山なみ夕焼くる
昭和11年(1936年)4月17日、種田山頭火は藤沢より茅ヶ崎、熱海を経て徒歩で伊東へ。4月19日、伊東温泉で詠まれた句である。稲取、谷津を経て、22日山頭火は下田へ。 |
午后は晴れた、私は行乞をやめてそこらを見物して歩く、浄の池で悠々泳いでゐる毒魚。 伊東はいはゆる湯町情調が濃厚で、私のやうなものには向かない。 波音、夕焼、旅情切ないものがあつた。 一杯ひつかける余裕はない、寝苦しい一夜だつた。 |
平成4年(1992年)6月2日、網代多賀ロータリークラブ創立5周年記念事業として建立。 平成14年(2002年)3月3日、網代多賀ロータリークラブは創立15周年記念事業として与謝野晶子の歌碑を建立している。 |