2021年埼 玉

浄光寺〜高浜虚子の句碑〜
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 昭和12年(1937年)3月7日、ホトトギス同人の「武蔵野探勝会」で越谷市の浄光寺へ。

 東部鉄道会社から一通の案内状が来た。見ると、来る三月七日当社沿線越ヶ谷梅林に御曳杖の榮を賜りたい、との事である。其日は武蔵野探勝会の予定日だから折角の御招きにこれは生憎のことだと思つてゐたら、三月の探勝会を此招待による越ヶ谷観梅に代へることにしたと幹事から又通知が来たので甚安心した。

『武蔵野探勝』(越ヶ谷の梅見)

浄光寺に高浜虚子の句碑があるというので、訪ねてみた。

越谷と梅

かつて、越谷の梅の中心地は「越ケ谷古梅園」でした。古梅園は明治35年、浄光寺周辺(現在の北越谷4丁目)に梅の古木を移植して開園しました。東武鉄道武州大沢駅(現在の北越谷駅)に近く、交通の便もよかったため、東京方面から毎年たくさんの梅見客が訪れました。昭和16年・17年には、都内の文化人を招待した園遊会が開かれ、そのときに訪れた高浜虚子は「寒けれど あの人むれも 梅見客」と詠んでいます。

『広報こしがや季刊版』(平成17年冬号)

東武スカイツリーライン北越谷駅下車。

駅前の右の道を歩いて行ったが、浄光寺の入口は左の道に面していた。

浄光寺参道


山門の右に大きな木があった。

浄光寺山門


熊野山観音院浄光寺


真言宗豊山派の寺である。

本堂右手の池の付近に高浜虚子の句碑があった。


寒けれどあの人むれも梅見客

昭和50年(1975年)3月、上原恵美建立。

五智如来堂


薬師堂


薬師堂の手前にも高浜虚子の句碑があった。


寒けれどあの人むれも梅見客

昭和50年(1975年)3月、上原恵美建立。

書体は違うが、同じ虚子の句碑である。

よく見ないと、分からない。

短冊が残っているそうだが、虚子の『句日記』には見当たらない。

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