昭和12年(1937年)3月7日、ホトトギス同人の「武蔵野探勝会」で越谷市の浄光寺へ。 |
東部鉄道会社から一通の案内状が来た。見ると、来る三月七日当社沿線越ヶ谷梅林に御曳杖の榮を賜りたい、との事である。其日は武蔵野探勝会の予定日だから折角の御招きにこれは生憎のことだと思つてゐたら、三月の探勝会を此招待による越ヶ谷観梅に代へることにしたと幹事から又通知が来たので甚安心した。
『武蔵野探勝』(越ヶ谷の梅見) |
かつて、越谷の梅の中心地は「越ケ谷古梅園」でした。古梅園は明治35年、浄光寺周辺(現在の北越谷4丁目)に梅の古木を移植して開園しました。東武鉄道武州大沢駅(現在の北越谷駅)に近く、交通の便もよかったため、東京方面から毎年たくさんの梅見客が訪れました。昭和16年・17年には、都内の文化人を招待した園遊会が開かれ、そのときに訪れた高浜虚子は「寒けれど あの人むれも 梅見客」と詠んでいます。
『広報こしがや季刊版』(平成17年冬号) |