三芳野神社は、わらべうた「通りゃんせ」発祥の地です。
誕生の宮参りの時頂いて、身に着けていた「お守り札」を天神様に納めに行く様子です・・・・・けど、なぜ「七つ」? 現在の「七五三」では7歳のお祝いは「帯解き」と言って女の子のお祝いですが、昔は、子供の死亡率は高く、7歳まで成長することが大変だったため、「7歳までは神のうち」と言われ、それまでの子供の無事な成長を感謝して「お守り札」を天神様に納めたと思われます。 (昔は生まれると1歳と数える(数え年)為、昔の7歳は今では6歳です) |
三芳野天神社の本殿(内宮)は天神曲輪にあり、拝殿(外宮)は田曲輪(現在の郭町浄水場辺り)にありました。『内宮に年1・2回参拝を特別許された』とも、『遙拝所である外宮にしか参拝出来なかったはずだ』、とか言われていますが、どしらにしてもお城のなかです。一般市民をお城に入れるわけですから、当然厳しい監視の目があるわけですが、門を出る時の方が密偵などの機密漏洩などを恐れ、より厳しいチェックがあった事が、帰りは恐いの意味です。 |
長禄元年(1457年)、上杉持朝の命により太田道真・道灌親子が川越城を築いたと言われている。 寛永15年(1638年)3月8日、堀田正盛は6万5000石を加増されて10万石となり、信濃松本藩に転封。 明和4年(1767年)、秋元凉朝(すけとも)は武蔵国川越藩主から出羽国山形藩に転封。 嘉永元年(1848年)、現存する建物が建てられた。 昭和8年(1933年)、「初雁武徳殿」として武道場になる。 平成18年(2006年)4月6日、日本100名城に選定された。 |