2015年佐 賀

「虹の松原」〜山頭火の句碑〜
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 唐津市の佐賀県道347号虹の松原線沿いに長さ約5Kmにわたって「虹の松原」が広がる。


 三保の松原(静岡県静岡市)、気比松原(福井県敦賀市)とともに三大松原といわれる。

「虹の松原」


 明治40年(1907年)8月14日、与謝野寛北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里の5人は、虹の松原を逍遥する。

下つて虹の松原を逍遥す、前後二里に亙る、日本無二の松原ださうだ、成程美しく大きい、時に日漸く低く海が紅く燃えた。海より来る風が一刷毛に松原を撫づれば、松は一様に陸の方に靡いたその形がわざとらしからず面白い。砂はもとより純白である。

「五足の靴」(領巾振山)

「二軒茶屋」 前に山頭火の句碑があった。


   松原の茶店はいいね。
   薬罐からは湯気がふいてゐる。
   娘さんは裁縫してゐる。
   松風、波音…。

松に腰かけて松を觀る

平成元年(1989年)9月19日、松浦文化連盟建立。

昭和7年1月19日午下り、種田山頭火は此の松原を歩く。揮毫は郷土の俳人・堤剣城(義輝)氏にお願いした。

20日、山頭火は唐津市街行乞。

中島哀浪の歌碑もあった。


うすべにの貝がらひとつひき出しに悲しき海といつまでかある

中島哀浪は、白秋牧水とともに九州三歌人とうたわれている佐賀市出身の歌人。その作風は中央の歌人にも負けないと高く評価されています。虹の松原をこよなく愛した哀浪は、いくどとなく松原を訪れ多くの歌を残しています。

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