当寺は、福井県永平寺と横浜市総持寺を両本山とする曹洞宗の古禅刹です。ご本尊は、瑠璃光薬師如来尊で歴史は古く、青幡神社の古文書や平戸藩國字傳には「平安時代の大治2年(1127年)松浦党党祖・源久公が氏寺とした」と書かれている。 一方、小城町の雲海山岩蔵寺の文書には、「永徳元年(1381年)五十世賢鎮法印、有田郷の広厳寺を建立」と記録されている。また地元の伝承では、天正20年(1592年)秀吉の命令で山ノ寺総持寺は焼打ちににあい、住職の不鉄桂文和尚は弟子とともに有田郷に逃れ、有田丹後守盛公を頼られた。守盛は不鉄和尚らを匿い、腰岳中腹(古子集落の地)に総持寺を建立して、その開山を手助けしている。 山の寺は腰岳総持寺(後の広厳寺)の寺領として、明治4年まで管理するとともに、祭祀も行なってきた。この祭祀の伝統は最近まで続いていた。 寛永初年の太田守桂大和尚(山ノ寺総持寺不鉄桂文和尚の高足)第一世とし、現住職弘海和尚を第二十四世とする檀信徒630戸余を有する由緒ある曹洞宗の寺院である。 |
永平寺 てふてふひらひらいらかをこえた 水音のたえずして御仏とあり 山のしづかさへしづかなる雨
『旅日記』(七月十九日)
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