松原を突切ると領布振山(ひれふるやま)が見える。さほど高くない平(ひらた)い山である。天平の頃山上憶良が肥前の国司として不平で堪らず、この辺をぶらぶら歩いたのだと思ふと非常に面白い。迂廻して山の背面から登る。午後四時頃の日が斜にかんと照りつける。喘ぎ喘ぎ急阪を登ること暫くにして顧れば眼界頓に開け松浦川の流が絹のように光る。前には領巾振山が緑の肌に衣も掩はず横はり伏す。最も左峰の山頂に松が見える、そこで佐用姫が領巾を振つたのである。まだまだ高い。少憩して再び登る。薄紫の撫子がすくすく咲いてゐてそのかみの美(うる)はしき少女を忍べといふ。優しいことである。男連れなれど趣味を解すと自ら思へる者の一行である。各一莖を摘む。
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右に與謝野寛の歌碑。

波に聞く松かぜに聞く遠妻や
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けだし筑紫のわが旅を泣く
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平成19年(2007年)5月、塩谷勝 松浦文化連盟建立。
明治40年の夏、與謝野寛は北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野萬里とともに五足の靴の名で知られる旅の途上、ここ唐津の鏡山を訪れた。今般五足の靴百周年を迎えるにあたり、旅中で詠んだ1首を刻した歌碑を建立し、往時を追懐することとした。
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左に平野萬里の詩碑。

領巾振山
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緑なす山の頂
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しろたへの領巾ふる少女
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ひらひらと空になびかひ
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ひるがへる領巾こそ見ゆれ
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平成19年(2007年)5月、萬里次男 平野千里 松浦文化連盟建立。
平野萬里は明治40年の夏、北原白秋、木下杢太郎、與謝野寛、吉井勇とともに、五足の靴の旅の途中、ここ唐津の鏡山を訪れ、いにしえの佐用姫を追憶して、領巾振山と題した詩を詠んだ。今般五足の靴百周年を迎えるにあたり、短歌会をはじめ、文学を愛する皆様の、ご理解とお力添えを得、詩の一節を刻した詩碑を建立して往時を追懐することとした。
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