當山は室町時代のくすく城址内にあります。大陸との古い関わりから山号を太明山と呼称してきました。 元和2年(1616年)くすく五院(本光寺 本覚寺 佛積寺 大園寺 大行寺)を統合、元和4年(1618年)藩祖直成公の請いにより松浦党下の不鉄禅師が日峰山宗智寺(佐賀市旧多布施城址)を開創された由縁で末寺に加えられ、 曹洞宗になりました。 寛文3年(1663年)より明治4年(1871年)7月まで、當山は鍋島水軍の鎮守社司宰、御船方休憩所、楠久六区の邑会所を勤めました。 |
太陽は |
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夜が明けるのを待って |
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昇るのではない |
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太陽が昇るから |
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夜が明けるのだ |
テレビ朝日のドラマ『相棒』の「赤いカナリヤ」の言葉で「夜が明けたから目覚めるのではない。目覚めたときに夜が明けるのだ。目覚めぬ者に、夜明けは来ない」というのがあった。 |
昭和7年(1932年)4月7日、 種田山頭火は長崎から県界を越て佐賀へ。楠久に泊まる。 |
曇、憂欝、倦怠、それでも途中行乞しつゝ歩いた、三里あまり来たら、案外早く降りだした、大降りである、痔もいたむので、見つかつた此宿へ飛び込む、楠久、天草屋(二五・中) 今日は県界を越えた、長崎から佐賀へ。 どこも花ざかりである、杏、梨、桜もちらほら咲いてゐる、草花は道べりに咲きつゞいてゐる。 食べるだけの米と泊るだけの銭しかない、酒も飲めない、ハガキも買へない、雨の音を聴いてゐる外ない。 お地蔵さんもあたたかい涎かけ 汽車が通れば蓬つむ手をいつせいにあげ ・何やら咲いてゐる春のかたすみに ・明日の米はない夜(ヨル)の子を叱つてゐる(ボクチン風景) |