卯花の歌とてよみ侍りける
仁和寺後入道法親王覚性
玉川を(お)にきゝしは卯の花を露のかざれる名にこそありけれ |
玉川の里は、全国六玉川の一つ摂津の玉川として平安時代にから多くの歌集の歌枕につかわれて、多くの人々に親しまれてきました。 千 五 百 首 玉川の岸の卯の花さきぬれば汀にしらぬ波そたちける 良平 と歌われているように、昔の玉川は水量が豊かで岸辺には波がうちよせ、初夏には香りゆたかに卯の花が咲きみだれていました。 古歌に卯の花の玉川とあるのはこの地のことであります。またこのあたりは、卯の花や月の名所として名高く、玉川橋あたりにたたずむと月が流水に映り、11ヵ国の山々が見え、観月台の水鉢に映る月は弥陀三体を現わすなどともいい伝えられてきました。 昭和42年に、多くの古歌によまれている卯の花が高槻市の市民の花に指定されました。 |
芭蕉が当地を訪れて残した 「うの花やくらき柳のおよびごし」 の句を近隣の有志が芭蕉百五十回忌の天保14年にこれを碑に刻んだが、最近では都市化の進展で名所玉川もその面影を失いつつある。 このため、緑地の整備とあわせて句碑の移設を行い玉川の里の歴史を偲ぶよすがとした。
昭和60年3月吉日 |