抑此大神は、ちはやふる神代の御時、日向の國、小戸の橘の檍原(あはぎはら)よりあらはれ給ひて、當社の御鎮座は神功皇后紀十一年、辛卯四月廿三日とかや。四社は底筒男命(そこつゝをのみこと)、中筒男命(なかつゝをのみこと)、表筒男命(うはつゝをのみこと)、神功皇后これなり。
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第三本宮と第四本宮の幣殿

幣殿は重要文化財。
第三本宮と第四本宮の本殿

御本殿は「住吉造」といわれている。国宝である。
屋根は桧皮葺。柱・垂木・破風板は丹塗り、羽目板壁は白胡粉塗り。
祭神は表筒男命(うはつつのをのみこと)と息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)。
息長足姫命は神功皇后のこと。神功皇后は応神天皇の母。
応神天皇は八幡神である。
第二本宮の幣殿

祭神は中筒男命(なかつつのをのみこと)。
第一本宮の幣殿

文化7年(1810年)、建立。
祭神は底筒男命(そこつつのをのみこと)。
伊邪那岐命が黄泉の国の汚れを清めるために海に入って禊祓いしたとき、底筒男命、中筒男命、表筒男命が生まれたという。
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4柱で「住吉大神」と総称される。
貞享元年(1684年)、西鶴は住吉神社で大矢数俳諧。其角は立会人となる。
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住吉にて西鶴か矢数誹諧せし時に後見たのみければ
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驥の歩み二萬句の繩あふぎけり
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元禄7年(1694年)9月13日、芭蕉は住吉大社に詣で、宝の市で名物の升を買っている。
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十三日は住よしの市に詣でゝ
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枡かふて分別替る月見哉
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壱合斗(升)一つ買申候間かく申候。
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水田正秀宛書簡(9月25日付) |
住吉公園に句碑がある。
元禄7年(1694年)10月、其角は住吉大社で句を詠んでいる。
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十月十一日 芭蕉翁、難波に逗留のよし聞えければ、人々にもれて彼旅宅に尋まい(ゐ)るゆへ(ゑ)、吟行半バに止む。
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明和元年(1764年)10月、多賀庵風律は田子の浦の帰途、住吉大社に参詣している。
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住吉の社神さひたりぬさ奉る今日小春の雲暖に海の色も空にやかよふらん岸の向ひのあハちしまあさやかにて姫枩ハかれか麓にあるかと思ハる庭神楽のをとめの袂神もめてさせ給ふらんとおもひおもひぬかつく松の中に橋の見えたるそ繪にも見て置たれハなつかし
住吉は御代の名そかし庭神楽
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明和8年(1771年)10月、加舎白雄は住吉大社に参詣している。
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住吉に参りて、
松風や時雨てもたゞ神心
『須磨紀行』
住吉に詣りて
松風や霜にはゝきして庭神楽
すみよしに参りて
まつ風やしくれてもたゝ神心
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寛政3年(1791年)、森々庵松後は伊勢参拝の帰途、住吉で吟行している。
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住吉吟行
住吉や松はかりなる雪嵐
『杖のはじめ』 |
昭和30年(1955年)、高野素十は住吉大社を訪れている。 |