大岩に刻まれた仏は向かって右が大日如来、左が不動明王で、熊野磨崖仏と呼ばれている。 大日如来は、6.8米、如来にふさわしい丹精な顔形で、頭部上方には三面の種子曼荼羅(しゅしまんだら)が刻まれている。 不動明王は、8米、憤怒相ではなく柔和な慈悲相であるのは他の石仏にみられない珍しい例である。 六郷満山諸勤行(しょごんぎょ)注進目録や華頂要略などにより、磨崖仏は藤原時代末期(約900年前)の作と推定されている。 厚肉彫りの雄大、荘厳な磨崖仏であるため国指定史跡でありながら、美術工芸品としての価値が高いものとして国の重要文化財指定を併せ受けたものである。 伝説では、磨崖仏は養老2年(718年)仁聞(にんもん)菩薩が設立したと伝えられ、近くの山中には御所帯場(ごしょたいば)と呼ばれる作業時の宿泊跡がある。また参道の自然石の乱積石段は鬼が一夜で築いたと伝えられる。
熊野磨崖仏管理委員会 宗 教 法 人 熊 野 社 |
当山は奈良時代養老2年(8世紀)宇佐八幡之宮應現仁聞菩薩の開基といわれる。平安時代となって山岳仏教が盛んになり、12世紀には熊野修験が当地方までもひろがった。 |
八十山のむら山の上に位する |
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熊野の山にみ仏います | 浅利良道 |
国東の仏ぞくらき螢かな 胎蔵寺卯の花くだし漏るならむ
『旅塵を払ふ』 |
山椿花咲きしだり荘厳す |
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大き岩にえれるこの磨崖仏 | 佐々木信綱 |
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鬼の石も仏も青し雨の旅 | 金子兜太 |
むかしむかしのお話です。この田染(たしぶ)の里に毛むくじゃらの赤鬼がやってきて、人間を食べるというのです。それを聞いた熊野の権現さまは、何かよい方法はないかと考えました。そして、いち夜のうちに100の石段をこしらえたら許してやろうと約束したのです。権現さまは、とうていできるはずはないと思っていたのですが、なんと赤鬼は、ひょいひょいと石を担いで、あっという間に50段こしらえました。その早いこと早いこと、みるみるうちに99段築いたのでした。おどろいた権現さまは、100段目の石を担いだ赤鬼の足が山かげに見えたとき、「コケコッコー」とにわとりの鳴き声をまねしたのでした。赤鬼は、「負けたあ」と最後の石を担いだまま逃げ出していったそうです。 熊野山たいぞう寺から、磨崖仏を通って熊野権現さままで続いている石段は、この赤鬼が築いた石段といわれ、今でも多くの人々に親しまれています。 |