国指定重要文化財(建造物) |
構造及び形式 |
指定説明(国指定通知書より一部抜粋) 薦神社は承和年間(834〜848)の草創と伝える古社で、社殿の西に広がる三角池を身体とし、池を内宮、社殿を外宮と称している。草創のときより宇佐神宮との関係は深く、宇佐行幸会(ぎょうこうえ)のとき、神輿に納める霊代(みたましろ)の枕は三角池の真薦で作る習わしであった。社伝によれば、天仁2年(1109年)に七堂伽藍が建立されたが、源平合戦の際に破却され、後に大内氏によって再建された社殿も大友氏の兵火にかかって焼失したとされる。元和2年(1616年)に中津城主細川忠興によって薦神社の社殿が新造された。社殿は本殿、拝殿、廻廊を南北に配し、廻廊左右より出た築地塀でこれを囲み、東に神門を開く。 現在の本殿、拝殿、廻廊は江戸時代末期のものであるが、神門は元和7年(1621年)の墨書が有り、細川忠興の造営であると認められる。 |
大分県指定史跡 |
薦神社は、別名大貞八幡とも呼ばれ、宇佐八幡宮の元宮であるとも伝えられる。史跡範囲は、内宮である5ヘクタール余の池と外宮の社殿からなる。池は、三角池(御澄池)と呼ばれ、池そのものが御神体である。三角池に自生する「真薦」を刈り取って、池の中の敷島で乾かし、宇佐八幡宮の御神体である「御枕」にしたという。社殿は、承和年間(834〜848)の草創と伝えられるが、三角池の築造はこれより古いといわれる。薦神社が祀る八幡神は、池の守り神でもあったといわれる。当時、大陸の技術を持つ渡来人によって各地の水利不便な台地に多くの溜池が造営されたという。三角池も、こうした溜池の一つであると考えられている。 三角池は、穏やかに起伏する洪積台地を利用して作られ、北東から南西へ手のひらを置いたような形をしており、手の先にあたる南西側には3つの澤がある。入江状の澤は浅く、ハスが密生し、マコモの群生地となっている。御神体でもある三角池では、池・植物・魚などが大切に扱われ、それゆえに貴重な水生群落、入江に群生するマコモ群落やハンノキ林などが残っている。薦神社の周囲は、かつて鬱蒼とした森であった。現在でも、社殿のある一帯は、コジイ=クロキ群集の常緑広葉樹林に覆われ、イチイガシ林、クスノキの巨樹とあわせて境内林をつくっている。 なお、三角池の植物と植物群落は、大分県指定天然記念物「三角池の水生・湿地群落」に指定(昭和55年4月8日されている。
中津市教育委員会 |