山峡が俄かに展けて、一望の盆地となる。早春の頃だと、朝晩盆地には靄が立籠め、墨絵のような美しい景色となる。ここの地名は安心院と書いてアジムと読ませる。
松本清張『陸行水行』 |
宇佐市指定有形民俗文化財 |
桂昌寺(室町中期開基)は江戸の頃には無住荒廃となったが、江戸の天台僧午道法印(巍純)という傑僧が江戸後期の文政3年(1820年)頃、大衆教導のために作った全国にも珍しい遺跡です。 先ず閻魔の庁で閻魔大王から裁判を受け馬頭・牛頭に引きずられて地獄道(36メートル)へと進み、途中、三途の川の奪衣婆や赤鬼青鬼のいる血の池地獄などが迷路の闇に浮かびでます。 次に菩提坂を越えると極楽道(25メートル)となり、十三仏に救われて来迎弥陀(観音菩薩・勢至菩薩)の前に出ます。 その横の竪穴(5メートル)を鎖伝いに登ると丘の上には阿弥陀如来を中心とした多くの菩薩が安置され極楽浄土となっています。
宇佐市教育委員会 |
この碑は、江戸時代の中頃に母に孝行した神崎右京多宮を記念して建てられたものです。 「右京の母は老いて視力を失い、加えて足腰が立たなくなった。 ある日、母は「是非一度、信州善光寺に詣りたい」という。 右京父子は椅子のようなものを作って母をこれに座らせて背負って、善光寺の参詣をした。 このことを聞いた領主奥平侯は、御前に召され、賞辞や金穀を賜った。」 碑は、県営ほ場整備に伴って、この地に移築されました。
宇佐市教育委員会 |
建立年月は不詳だが、かつて当地域にて発句(俳句)の全盛の頃、その俳人たちが遠く中央で高名な松尾芭蕉(はせを)を慕って建立したものと思われる。 句の意味は―翁(おきなとは芭蕉のこと)は、風に吹かれているあの広い芭蕉の葉のように、船のようにもなり、また帆の形のようにもなって、私たちの俳句の指針となってくれることよ―という意味です。 もちろん芭蕉の俳句ではありません。 |