2023年〜大 分〜
福田平八郎画伯顕彰碑〜福田平八郎画伯生家跡〜
別府から大分市の生家へ案内して暮れた平八郎がはたと足を止めたところは王子町一丁目の嚴父馬太郎翁が、獨りで營んで居る文房具店の前であった。表構えは瓦葺の平屋で、右手に半間位のやゝ突き出た飾窓があり、中央は硝子戸を開ければ僅かな三和土で、上り框の端から雜記帳や、紙類が堆く積まれた何處の町にも見かける、極さゝやかな文房具店の標準型の構えであった。それは昭和十二年の夏だった。 この土地の風習に従って、極く當りまえに造った素朴な店は、年を經るに委せて、たゞひと色に古びていた。私の側にはこの家で明治二十五年に呱々の聲を擧げた平八郎が立って居た。私はこの文房具店の隅から隅を、仔細に眺めわたしながら、次第に感慨の深くなって往くのを覺えた。
横川毅一郎著「福田平八郎」(昭和二十四年刊) |
大分市名誉市民福田平八郎画伯は明治25年(1892年)2月父馬太郎母安の長男としてこの地に生まれ県立大分中学校3年生の時日本画家を志して京都市立絵画専門学校へ入学卒業の翌大正8年第一回帝展において「雪」が初入選大正10年第三回帝展で「鯉」が特選となり一躍画壇の注目をあつめ昭和7年第十三回帝展に出品した「漣」によりその名声を決定づけられました 写実を基調とした清澄華麗な色彩美の装飾的画風を確立し日本画を現代化に導いた巨匠として高く評価されています 昭和36年文化勲章を受章されその後も日本画壇の重鎮として活躍されましたが昭和49年(1974年)3月京都にて82歳の生涯を終えられました ここに福田平八郎画伯生誕100年にあたり画伯の古今独歩の業績を讃えるため顕彰碑を建立するものであります |