2020年大 分

三島公園〜久留島武彦〜
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昭和38年(1963年)、河野静雲は玖珠町の童話祭俳句大会に招かれる。

昭和40年(1965年)5月5日、高浜年尾は久留島武彦童話祭へ。

   五月五日 久留島武彦童話祭 玖珠町

ともかくも水張つてあり田打まだ

蕨など出てゐるらしき野のみどり

『句日記』(第二巻)

玖珠町森に三島公園がある。

 昭和49年に玖珠町都市公園として認可され、野外ステージ・遊具・休憩施設等を整備し、現在にいたっている。

地元の人たちが家族で遊ぶ公園である。

巨大な童話碑があった。


 この童話碑は日本における口演童話の創始者であり全国のこども達より「童話のおじさま」として慕われ、こどもの世界に夢と希望をあたえた明治、大正、昭和を通じての日本一の童話人久留島武彦先生の童話行脚50年を記念して全国より先生を尊敬する人々の醵金にて昭和25年5月5日建立されたものである。

 この山間にそびえたつ巨大な碑は尚永遠に語りつづけられる童話の偉大な文化性を象徴するものである。

 久留島武彦先生は大分県玖珠郡玖珠町の出生で旧森藩主の久留島家の末裔で建立の地はその藩邸の庭園である。

 童話碑文字は故高階瓏仙禅師の揮毫によるもの。

 久留島武彦先生は1874年6月19日森で生まれ1960年6月27日(86才)逗子市で逝去された。

桃太郎像


 この桃太郎像は昭和13年5月、久留島武彦の提唱により小倉到津遊園地内に、「北九州桃太郎の会」のこどもたちによって募金建設されたものです。戦時中、同園長の阿南哲朗氏がこの像を守り。金属回収を免れました。

 昭和25年5月1日、久留島武彦の日本童話界に尽くされた偉業を記念童話碑が建立されると、心優しくたくましい桃太郎像は子どものシンボル、平和の象徴としてこの地に移されました。

 この像の作者渡辺長男は、朝倉文夫の兄で、大分県竹田市の出身です。東京日本橋欄干の「獅子」「麒麟」像、明治天皇像の制作を手がけた著名な彫刻家です。

久留島武彦の銅像


令和元年(2019年)12月22日、除幕。

桃太郎のように育つことを願って

 「玖珠町」は、日本のアンデルセンと呼ばれた口演童話家『久留島武彦先生(明治7年〜昭和35年)』の誕生の地です。

 「弱きを助け強きをくじく、気は優しくて力持ちの桃太郎のような子どもに育つことを」願っていた先生は、子どもの膝の前の友だち」になることをめざして、日本全国・世界各国を口演行脚し、各地に児童文化活動を芽生えさせました。

 『童話の里づくり』を進める玖珠町は、子どもの豊かな心をはぐくむことに生涯をかけた先生の意思を継ぎ「子どもたちの『心のふるさと』となるような町づくり」を目指しております。

玖珠町

久留島武彦先生の遺訓

『継続は力なり』

繼續は力なり


 平成20年(2018年)10月、玖珠ライオンズクラブ結成55周年記念事業として建立。

久留島武彦のことは、知らなかった。

田山花袋の歌碑もあった。


森谷の奥に滝あり
   紅葉あり
 いざ来りませ
 われしるべせん

平成5年(1993年)11月、玖珠文学碑づくりをすすめる会建立。

キャッチコピーのような歌である。

古後中学校へ。

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