2018年大 分

血の池地獄〜高浜虚子の句碑〜
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大正9年(1920年)7月12日、高浜虚子は別府で地獄巡りをした。

血の池地獄

 湯煙の消えてほのかや合歓の花

海地獄

 湯煙に人現るゝ時萱草も


血の池地獄(HP)に行ってみた。

まだ紅葉が残っていた。


昭和15年(1940年)10月23日、高浜虚子は血の池地獄へ。

十月二十三日。別府亀の井。

 秋晴の軸の大字のかはやかに

血の池地獄

 自づから早紅葉したる池畔かな

 綿羊に牧夫に秋の風寒し

 花すゝき皆ひれ伏して由布ケ峰


紅葉の下に高浜虚子の句碑があった。


自ら早紅葉したる池畔かな

昭和21年(1946年)11月15日、星野立子は血の池地獄へ。

 血の池地獄はずつと見おとりがした。ルビーポンドと
説明するのですといふ。ルビーとは大分違ふ鉄褐色のい
やな色の池である。

  小春なる海地獄見て来し目には


横から見た血の池地獄


昭和27年(1952年)5月25日、水原秋桜子は血の池地獄を訪れた。

   二十五日、地獄めぐり、血の池地獄 二句

白銀の焔うづまき岸に百合

春蝉や地獄に垂れし龍舌蘭

『残鐘』

上から見た血の池地獄


外に見るべきものは、なかった。

隣の龍巻地獄は後日。

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