昔の温泉
蔦温泉「蔦温泉旅館」
20年以上も前に蔦温泉に来たことがあるが、大町桂月のこと以外ほとんど覚えていない。 |
温泉守は疾く山を下りた。ここに某氏の鮭鱒の艀化場がある。それを守る小屋に人が二人住んでおるきりじゃ。
焔々と榾(ほた)を焚いておる処へ飛び込む。先ず生きた心持になる。長々と温泉に暖まって、榾(ほた)の烟らぬ方に陣取って大胡座をかく。頭の毛から足の爪のさきまでほこほこする。持って来たビールの栓をつつき壊して、飯茶碗でグイグイ飲む。山男にも若者にも一杯ずつ分ける。天下にこれ位愉快な事はないような気がする。七本も八本も榾を積み重ねて、自在も焼けるほど尚焚きに焚く。 |
大正十三年冬蔦温泉にこもりてよめる 雪とくるまではこもらん山の上餌とる役は熊にまかせて |
大正14年(1925年)9月15日から29日まで与謝野晶子は奥羽の旅をする。旅の途中で大町桂月を偲んで歌を詠んでいる。 |
桂月の御墓の立ちし蔦の山奥入瀬川もあまぐもの奥 桂月のいます世ならで今日逢へる蔦の温泉の分れ道かな
『心の遠景』 |
昭和24年(1949年)8月、中村草田男は蔦温泉を訪れている。 |
蔦温泉にて 二句 桂月晩年眼鏡さはやかなりし此所 谷湯宿屋根を繕ふひびかして 同温泉附近の桂月翁墓域にて 二句 殘暑の墓老若男女遠拜み きりぎりす同音重ね桂月調 |
昭和28年(1953年)、高野素十は蔦温泉を訪れている。 |
一叺(かます)づつ負ふ女蕨採り 蔦の温泉に蕨採り女等小酒盛り 折りくれし霧の蕨のつめたさよ
『野花集』 |