昭和7年(1932年)5月10日、与謝野晶子は水上を訪れ、湯原温泉「菊富士ホテル別館」に泊まる。翌11日、湯沢温泉に向かった。晶子54歳の時である。 |
添ひて立つ柳の幹に勝らぬや温湯の川の木の吊ばしは 岩の群おごれど阻む力なし矢を射つつ行く若き利根川 吊橋と舞へるつばめをなかにして兩つの岸に李(すもも)花咲く 水上の諏訪のやしろの杉むらの中のさくらの白き初夏
『冬柏』(上越遊草) |
「旅館たにがわ(HP)」に行こうと思ったが、「旅館たにがわ」は水上温泉ではなく、谷川温泉にあった。 |
昭和11年(1936年)8月、太宰治は谷川温泉「川久保屋」に滞在して「姨捨」を執筆した。この「川久保屋」を増改築したのが「旅館たにがわ」であると書いてある。 |
「旅館たにがわ」で3日ぶりの日帰り入浴客というくらいだから、誰も入っていない。 |