生島とは江戸幕府七代将軍家継の時代を代表する人気歌舞伎役者で、大奥の風紀粛清事件であった絵島事件の密会の相手として疑われ、三宅島に遠流されました生島新五郎の名前です。 大奥お年寄りであった絵島が、前将軍の墓参り代参後、生島を招いて宴を開いた事により帰城が遅れ大事件となり、絵島は此処高遠藩へ遠流、□前の高遠湖対岸にあります。お囲屋敷で28年間の生涯を閉じました。生島は後に八代将軍吉宗に赦免され、江戸小網町にて73歳で没したと言われています。美人の湯と謳われる高遠のお湯を時空を超えた歴史絵巻と共にお楽しみくだされば幸いです。 |
大正15年(1926年)11月8日、斎藤茂吉は絵島の墓を訪れている。 |
高遠 |
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十一月八日信濃國高遠町に繪島の墓を弔ふ |
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あはれなる流されびとの手弱女(たわやめ)は媼(おうな)となりてここに果てにし |
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みすずかる信濃の國の高遠にかなしき墓を吾も見つるかも |
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『ともしび』 |
昭和35年(1960年)4月17日、久保田万太郎は蓮華寺に絵島の墓を訪ねている。 |
高遠にて(三句) 高遠の繪島の寺の櫻かな 蓮華寺の花の石段み上げけり 春蔭や三萬五千石最中
『流寓抄以後』 |