昔の温泉
大鰐温泉「四季の湯不二やホテル」
奥羽本線大鰐温泉駅下車。今日は大鰐温泉「四季の湯不二やホテル」(HP)に泊まる。 |
文禄2年(1593年)、津軽藩を開いた津軽為信が難治の眼病にかかり、大鰐に涌く温泉で目を洗えば治るという薬師如来のお告げを夢にみて、大石の下から涌き出る熱湯を発見したとも伝えられる。 |
嘉永5年(1852年)閏2月29日、吉田松陰は「於阿仁を經、亦温泉あり。」と書いている。 明治28年(1895年)10月21日、国有鉄道奥羽北線大鰐駅開業。 明治40年(1907年)5月31日、河東碧梧桐は大鰐温泉を訪れている。 |
五月三十一日。半晴。 午後の汽車でこの地に着く。平凡ではあるが山も近く、川も流れておる。閑古鳥が山に鳴き、川のッキザッコを刺身に料理する。夜に入って始めて喧しい蛙の諸声を聞いた。 (陸奥大鰐温泉にて) |
源泉名は大鰐統合源泉(青柳3号、植田2号、赤湯2号、石原)。湧出量は毎分940リットル。 |
泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩泉。泉温は68.0℃。pH 7.2。 |
昭和4年(1929年)12月10日、太宰治はカルモチン自殺を図る。太宰は静養のため「ヤマニ仙遊館」で過ごしたそうだ。 |
津軽に於いては、浅虫温泉は最も有名で、つぎは大鰐温泉といふ事になるのかも知れない。大鰐は、津軽の南端に近く、秋田との県境に近いところに在つて、温泉よりも、スキイ場のために日本中に知れ渡つてゐるやうである。山麓の温泉である。ここには、津軽藩の歴史のにほひが幽かに残つてゐた。私の肉親たちは、この温泉地へも、しばしば湯治に来たので、私も少年の頃あそびに行つたが、浅虫ほど鮮明な思ひ出は残つてゐない。 |
大鰐温泉 みちのくの風景馬車に早乙女等 グズベリー青しと津軽女の摘むも
『桐の葉』 |