これまでの温泉
日田温泉「みくまホテル」
青の洞門から国道212号(日田往還)で日田へ。三隈川沿いに日田温泉がある。今日は「みくまホテル」(HP)に泊まる。 |
その年譜によると当時熊本第五高等学校(現在熊本大学)に勤務していた漱石は明治32年(1899年)1月おりから降りしきる雪の中を奥太一郎と宇佐から耶馬渓を経て日田に入り吉井追分を通って帰るとある。 |
峠を踰えて豊後日田に下る 雪ちらちら峠にかかる合羽かな 払へども払へどもわが袖の雪 かたかりき鞋喰ひ込む足袋の股 隧道の口に大なる氷柱かな 吹きまくる雪の下なり日田の町 炭を積む馬の背に降る雪まだら |
江戸時代に代官が江戸より赴任の際、京より京美人を連れて来るということが多く、その時日田の湯で旅の疲れを癒していたと言われています。 |
大正6年(1917年)6月24日、与謝野晶子は日田で鵜飼見物。 昭和4年(1929年)8月8日、与謝野晶子は再び日田で鵜飼見物。日田温泉「東洋館」に泊まっている。 |