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浅虫温泉「南部屋・海扇閣」
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青い森鉄道青森駅


青い森鉄道浅虫温泉駅下車。

 建久元年(1190年)、円光大師(法然)が傷ついた鹿が湯浴みするのを見て村人に入浴をすすめ、それ以来人々に利用されるようになったそうだ。

 昭和24年(1949年)5月22日、高浜虚子立子、宵子と共に青森の高木餅花を訪ねる。翌23日、浅虫温泉へ。

 昭和27年(1952年)、高野素十は浅虫へ。

   浅虫

銀漢の下にみちのく人等あり

旅長し海酸漿の美しき

立葵咲き終りたる高さかな

『野花集』

浅虫へ海も山も温泉も


 昭和38年(1963年)夏、棟方志功は浅虫観光ポスター用として風景画を描いたそうだ。原画は定宿だった「椿館」玄関に展示されている。

今日は浅虫温泉「南部屋・海扇閣」(HP)に泊まる。

展望浴場「ゆのしま」


まだ誰も入っていなかった。

 源泉名は混合温泉(集中管理源泉1号・3号・4号、浅虫35号・41号・45号泉)。

 泉質はナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉)。pH8.21。泉温は56.5℃。

展望露天風呂


ここだけが掛け流しのようである。

天明8年(1788年)7月6日、菅江真澄は浅虫温泉に泊まっている。

出崎に近う、いくばくか高き岩の立たるを肌赤島といへり。その島の形したるを鴎嶋といひ、磯に近う木々ふかく鳥居見えたるは、湯の島とて弁天を祀る。しうりこといふ貝ものとる女の、しほ声たかく、「名所名所と痣虫は名処、前に湯のしま霞に千鳥、みやこまさりのはだか島」と唄ふ。出湯のやかたに宿つきたり。

『率土か浜つたひ』(そとがはまづたい)

「湯の島」を見下ろす。


夕食後、高野雅嗣さんの「津軽三味線」ライブがあった。

津軽三味線は分からないが、高野雅嗣さんのトークは面白かった。

昭和40年(1965年)8月24日、高野素十は浅虫温泉で青森句謡会。

   八月二十四日 浅虫温泉 青森句謡会
   この会には東京よりすゝむ、綺羅、夏木氏等に会同、謡をうたひ句
   を作り虚子先生を偲ぶ。

夏山に雲のかゝれる回向かな

何風といふか涼しさ風が吹く

『芹』

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