播州赤穂城主松平右近大夫輝興菩提所である。輝興は池田輝政の第8子で、赤穂に長松山盛岩寺を建立している。これが少林寺の前身で、万治3年(1660年)、輝興は37才で岡山に於いて病没し、現在の少林寺に葬られた。その時盛岩寺も此の地に移され国富山少林寺と改められた。 本尊は観世音菩薩、開祖は法隣和尚である。 境内には岡山藩筆頭家老・伊木田忠澄公(三猿斎)の墓所とそして操山を借景とする遠州流の庭園があり、(築庭元禄12年)三猿堂が設けられている。 なお境内にあった羅漢堂は、昭和14年に惜しくも焼失した。
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西村燕々の『吉備俳諧略史』に「鳳明社白翁、東山少林寺に三翁(芭蕉、支考、廬元)碑を建つ」とある。 |
昭和10年(1935年)、俳誌唐辛子が西村燕々華甲寿記念に建立。「華甲」は還暦のこと。 明治8年(1875年)8月31日、西村燕々は滋賀県に生まれる。本名繁次郎。 昭和5年(1930年)、俳誌『唐辛子』の選者となり、のち主宰した。 昭和16(1941年)、『吉備俳諧略史』刊。 |