夏至の日の出には太陽が正面鳥居の真正面から昇り神殿の御鏡に入ることから「朝日の宮」とも称されてきたそうだ。 |
寛文8年(1668年)、岡山藩主池田光政公が造営に着手し、元禄10年(1697年)その子綱政公の時に完成。 |
貞亨元年(1684年)5月、大淀三千風は吉備津彦神社を訪れている。 |
○今日しも備中吉備の中山見て來よ。いとけちくなんときゝし。吉備津彦社。いとりうぐしく。細谷川。有木の別所。かの劍を植し所を見て くちぬ名のまかね吹てふ山陰にそのおもかげのけふりたつみゆ |
明和元年(1764年)8月、多賀庵風律は東国行脚の途上吉備津彦に参詣。 |
爰を過て吉備の中山あり麓に吉備津宮立せ給ふ備前の吉備の宮もあり社地並ふに似たりいつれも大壮観也 |
文化2年(1805年)10月26日、大田南畝は長崎から江戸に向かう途中で吉備津彦神社を訪れている。 |
又右に大なる石の鳥居ありて宮居うるはしくみゆ、これ備前の一の宮なりと云。左に石表あり、自是東備前岡山とゑれり。一の宮に池あり。中島あり。社あり。石坂の上に山門あり。門前の人家をへて石橋をわたり、田間に出れば川あり、早川と云。 |
明治33年11月25日、虚子庵例会での作。道後の山を眺めて詠んだものであるが、ここ鶴島から観る吉備中山の眺めがこの句に相応しいとされ、昭和32年一宮俳句会により建立されたものです。虚子の直筆であり、筆跡は岡山県立博物館に保管されています。 |
昭和43年(1968年)11月12日、星野立子は高浜虚子の句碑を見に行く。 |
吉備津彦神社境内に父の句碑があり 見に行く「枯野」の句 句 碑の辺に椿を植える |
一人一人椿を植うる賑やかに 句碑訪ね来て吉備津野の小春かな |
秋風や竹林一幹より動く | 年尾 |
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水音のかすかにありて涼しさよ | 汀子 |
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囀に囀重ね神の杜 | 廣太郎 |
年尾の句は『年尾句集』(昭和13年)に収録。 汀子の句は『汀子句集』(昭和46年)に収録。 |