この門は普通の仁王門とは異り、堅固な扉と北側に番士(かち)部屋をもった厳重な構えになっています。この門は2本の本柱と2本の控柱とで切妻屋根を支えた構造の薬医門である。 成道寺は慶長9年(1604年)津山藩主森忠政の建立した浄土宗の寺で、智山を開山とする。享保4年(1719年)雷火に焼け、その後元文4年(1739年)と宝暦元年(1751年)火災を被り、明治35年(1902年)2月元津山藩庁ならびに北条県庁の門として使用されていたものを払下げを受けて山門としたものである。 |
本名、斎藤敬直。明治30年南新座84、敬止四男出生。日本歯科医専卒。昭和9年「京大俳句」に参加。新興俳句運動代表的作家となる。戦後現代俳人協会の創設、「天狼」の創刊、又「断崖」で後進指導。昭和37年4月1日没。62才。 |
三章 小脳をひやし小さき魚をみる 水枕ガバリと寒い海がある 不眠症魚は遠い海にゐる
『旗』 |
昭和37年(1962年)5月、白石不舎は西寺町成道寺に三鬼の句墓碑を造り、納骨。 |
水枕 がばりと寒い 海がある |
津山市南新座に生る。本名斎藤敬直。 昭和九年同人雑誌「走馬燈」に加はり、新興俳句運動に参加。「京大俳句」「天の川」「旗艦」「□火」等に於て新風を樹立。昭和十五年綜合雑誌「天香」に依りしも弾圧により休止す。昭和二十三年山口誓子を擁して「天狼」を創刊。現代俳句の確立に卒先す。その間「断崖」誌に門下を指導して尽きず。昭和三十一年綜合雑誌「俳句」の編集に当り東都俳人と交ること深し。後胃癌を疾みて昭和三十七年四月一日遂に起たず。齢六十一。著す句集「旗」「今日」「夜の桃」「変身」「西東三鬼集」等あり。
撰 文 平畑静塔 墓銘書 山口誓子 |
津 山 津山冷ゆ石の三鬼に會ひに來て
『青銅』 |