明治23年3月3日 岡山県御津郡石井村島田村(現岡山市島田本町)に生まれる 石井小学校・金川中学校を経て早稲田大学英文科卒業 「お化けの世界」「風の中の子供」「子供の四季」「せみと蓮 の花」「かっぱとドンコツ」などの名作を刊行し日本文学 の発展に大きな影響をあたえた 昭和30年3月 日本芸術院賞受賞 昭和38年10月 童話雑誌「びわの実学校」を創刊 昭和39年1月 日本芸術院会員に推される 昭和54年10月 岡山市名誉市民の称号を受ける 昭和57年7月7日 永眠 92歳 |
昭和59年(1984年)7月7日、坪田譲治先生顕彰会・岡山県郷土文化財団建立。蛭田二郎作。 |
この建物は、新京橋の東詰めに所在する旭東幼稚園(岡山市門田本町1番5号)の旧園舎で、昭和54年の園舎老朽化による建て替え工事に伴って解体保存していた部材や解体記録に基づいて、この地に復元したものです。 旧園舎は、当時の岡山県工師の職にあった江川三郎八の設計により明治41年6月30日に旭東尋常小学校附属幼稚園として彼の地に竣工し、昭和54年の冬までは引き続き使用され、創建以来72年の長きにわたって数多くの園児たちを育み、送りだしてきた建物でした。 建物は、一辺5.46メートルの正八角形の遊戯室を中心に四方へ保育室や保姆室を張り出した、いわゆる八角園舎、あるいは梅鉢式園舎とも称され、明治末から大正期にかけて県下で建設された八角形の遊戯室を備えた園舎の先駆けでした。 ここには、建築時の幼児教育に対する考え方が典型的に表されており、遊戯室を中心として保育士の目が絶えず行き届くように設計された室内保育重視型の建物で、当時の保育観念を知ることができます。
岡山市教育委員会 |