ここは備後・備中の国境である。備後側、備中側にそれぞれ国境碑が建てられている。 木製の門柱は御境杭木(おさかいこうぼく)という、備後側に浅野藩の番所(現遠藤氏宅)がおかれ、浅野領福代村の役人と備中側天領大竹村の役人(いずれも百姓番)がそれぞれ東西別個の控室に詰め、交代で一人ずつ中央の板の間に出張って国境警備にあたった。 栃木氏宅には番所資料(番所・規則〈壁書〉、警備用具等)が現存している。 明治40年夏、若山牧水は東京から宮崎への帰省の途次この地に宿り、この付近で「幾山河越えさりゆかば・・・」の歌を詠んだ。50m東の旅籠茶屋「熊谷屋」跡に牧水の歌碑が建てられている。
新見市教育委員会
庄原市教育委員会 |
広島藩と天領備中大竹村の藩境に置かれた番所跡。番所は請負制の百姓番で、請負元から依頼を受けた備後福代村と天領大竹村の百姓が番所役人として、それぞれ東西の控え室に詰め、交代で一人ずつ中央の板の間に出張って通行人の監視をしたという。 現在、番所跡には遠藤氏居宅が建ち、屋号を「番所」と称されている。 道に面した石垣は当時のままで残っているが、正面の出入口であった中央部の石段は石組みで埋められ全体の石垣と面合わせされている。
福代自治振興区
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明治40年の夏、早稲田大学の学生であった牧水は、郷里宮崎県への帰途、同大学の先輩である歌人有本芳水にすすめられ岡山・高梁・新見・宮島・山口と中国を旅した。 このとき新見(備中)から東城(備後)に旅する途中、行き暮れて二本松峠の茶屋「熊谷屋」で一夜を過ごした牧水が芳水苑に投函した葉書に「幾山河……」「きょうもまたこころのかねをうち鳴らし……」の2首が記してあり、牧水が苦坂峠越えの情景を二本松峠の茶屋「熊谷屋」にて詠んだと言われています。 昭和39年、この歌の歌碑が峠の茶屋跡に建立され、その後喜志子未亡人、長男旅人氏の歌碑が建立され、親子3人の歌碑が並んでいます。 二本松はその昔、浅野藩の御番所がおかれ、備後・備中の警備をしていたところで人馬の往来がはげしく「熊谷屋」はよい休憩所であった。 |
有本芳水 |
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明治四十年夏若山牧水備中備後の国境を |
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越えんとして二本松峠にてこの作あり |
『若山牧水歌碑インデックス』(榎本尚美・榎本篁子著)によれば、47番目の牧水の碑である。 ちなみに、昭和4年(1929年)7月21日、この歌の碑が牧水歌碑の第1号として沼津の千本浜公園で除幕式が行われた。 |
この歌は、明治四十年、まだ数え年二十三歳、早稲田大学の学生だった時の作で、歌集では「中国を巡りて」という中にあるからその旅中の作だとはわかるけれど、それがどこだったかはわからなかった。ところが、その頃からの親友で牧水にその旅行を勧めた詩人の有本芳水が作家の井伏鱒二に、この歌は牧水が備中の新見から備後に越す峠の茶屋から自分にくれた葉書にあったものだと話し、井伏がそれを『小説新潮』に書いたことから、本田彗星の発見者として世界的に知られる倉敷天文台の本田実博士が興味を持って、早速芳水を訪ねて詳しい話を聞き、牧水の歩いたであろう道を数回実地踏査した結果、国境の茶屋というのがその頃二本松峠にあった「熊谷屋(くまたにや)」以外には考えられないことを発表した。
『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)
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あくがれの旅路ゆきつゝ此処にやどり この石文のうたは残しゝ |
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うつそ身の老のかなしさうらめしさ ただ居つ起ちつ志のぶばかりぞ |
牧水の歌碑 「幾山河こえさりゆかばさびしさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」 この歌は牧水が、早稲田大学の学生であった明治40年7月夏休みに郷里宮崎県への帰途、岡山・高梁・新見・宮島・山口と中国を旅して得た歌の中の一つで、ここ峠の茶屋熊谷屋に泊り、これをハガキにしたためて、学友有本芳水へ送った歌であるという。 この碑は昭和39年11月23日の建立、牧水の碑としては42番目のものである。 喜志子夫人の歌碑 表「あくがれの旅路ゆきつゝ此処にやどり この石文のうたは残しゝ」 裏「うつそ身の老のかなしさうらめしさ ただ居つ起ちつ志のぶばかりぞ」 「幾山河」の歌碑序幕のとき、牧水の夫人から喜びの声の録音テープと共に送られた2首の歌で、昭和49年11月3日の建立 旅人の歌碑 「若くしてゆきにし夫のかたはらに 永久の睦みをよろこばむ母は」 喜志子夫人の歌碑除幕式に列席した牧水の長男旅人氏が、その碑に献じた歌である。昭和52年11月3日の建立 「父・母・子」の3つの歌碑が、このように同じ場所に建てられたのは、これが初めてである。
哲西町 |
新見市哲西町はかねてより短歌の町づくりを目指して歌碑祭の開催、短歌交流の集い、熊谷屋の復元、公園の整備なださまざまな事業を進めてきた。 この牧水二本松公園は、牧水・喜志子夫人・長男旅人氏の親子3歌碑が建てられていることで有名になっている。 平成19年は、牧水の名歌「幾山河…」と「けふもまた…」の2首が、この二本松峠で詠まれてから丁度100周年に当たる。 これを記念し、新たに「けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつゝあくがれて行く」の歌碑の建立を目指した機運が高まり、このたび牧水を愛する大勢の賛同を得てこの歌碑を完成した。 石材は庄原市東城川の花崗岩。文字は牧水の孫の榎本篁子氏の揮毫によるものである。
若山牧水歌碑建立委員会 |