2004年〜新 潟〜
彌彦神社〜『万葉集』歌碑〜

六日町温泉から関越自動車道で彌彦神社に向かう。
途中、越後川口SAに立ち寄る。
ここは日本有数の豪雪地帯で、昭和61年の積雪は365p。
ところが、今年は雪が全くない。
越後三山(八海山・中の岳・駒ケ岳)を望む絶好のポイントだそうだが、今にも雨が降り出しそうな空模様で、全く見えない。
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長岡JCで北陸自動車道に入る。
燕三条ICからカーナビの指示に従って、彌彦神社に行く。
本格的な雨になる。
彌彦神社

彌彦神社は越後国一宮。
鹿苑に歌碑あった。

弥彦観光協会・弥彦観光案内所に問い合わせたところ、『万葉集』(巻第十六)にある歌でことが分かった。
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いやひこ神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ皮服(かはごろも)着て角つきながら
『万葉集』にはもう一首彌彦神社を詠んだ歌がある。
いやひこおのれ神さび青雲の棚引く日すらこさめそぼふる
元禄2年(1689年)7月3日、芭蕉は弥彦大明神に参詣の後、宿泊した。
嘉永5年(1852年)2月15日、吉田松陰は弥彦神社を参拝。
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十五日 翳。岩室を發す。石瀬を過ぎて彌彦に出で、彌彦大明神を拝す。是れを越後の一の宮と爲す。天照大神の曾孫某を祀る。
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明治42年(1909年)6月19日、河東碧梧桐は弥彦神社に参詣している。
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六月十九日。曇、午後雨。
新潟から三条まで汽車、三条から燕、吉田の駅を経て弥彦まで人車。烏啼、烏賊、馬刀同行。
弥彦で耐雪に迎えられた。弥彦神社参詣、宮司某氏にも会した。
同行の三人と別れて、雨中耐雪となお七里の浜伝いをして、寺泊、山田等を過ぎ、日暮れて遅く出雲崎に着いた。町長始め数人の予の歓迎会があった。耐雪宅泊。
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大正2年(1913年)10月8日、高浜虚子は出雲崎を訪れる途中で弥彦神社に参詣している。
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十月八日
雨中耐雪、烏啼二君と越後鐡道に乘り出雲崎に向ふ。越後鐡道會社員たる久須美東馬、田村文吉、尾崎房藏諸氏の好意を受け、殊に木村慎三氏の案内の下に途中彌彦神社參拜。
「北陸旅行の日と人」 |
昭和9年(1934年)10月29日、与謝野寛・晶子夫妻は車で弥彦山に登る。
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案内して文治今日ゆく師を思ふこころ弥彦を敬ふこころ
もみぢ葉が古志伊彌彦のために引く錦の幔の美くしきかな
『冬柏』(續越佐詠草) |
昭和11年(1936年)、高野素十は弥彦神社を訪れている。
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弥彦神事 二句
下闇に袋のまゝの桃の店
桃青し赤きところの少しあり
『雪片』 |
昭和16年(1941年)4月29日、斎藤茂吉は彌彦山に登った。
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彌彦山
ほのぐらき山の朝路ひとりゆく七曲ともいひをる道を
杉山に松はらまじりしげりたる彌彦のやまをめぐりてのぼる
『霜』 |
2004年〜新 潟〜
