2021年新 潟

旧師団長官舎〜長岡外史中将〜
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高田城址公園から司令部通りを行く。

旧師団長官舎があるというので、行ってみた。

旧師団長官舎の裏


 明治43年(1910年)に旧陸軍第13師団第3代目師団長・長岡外史中将によって師団長官舎として建てられたもので、市内に残る数少ない明治期の和洋折衷の木造建築物です。

 平成3年(1991年)までは、陸上自衛隊高田駐屯地の幹部宿舎として使われていましたが、明治の貴重な洋風建築保存するため、平成5年(1993年)に現在地に移築、復原し、平成6年(1994年)1月31日に上越市文化財に指定されました。

旧師団長官舎


明治30年(1897年)、軍務局第2軍事課長。

明治35年(1902年)、陸軍少将、歩兵第9旅団長。

明治37年(1904年)、日露戦争では大本営陸軍部参謀次長。

明治38年(1905年)、第13師団編成。

明治41年(1908年)、軍務局長。

明治42年(1909年)、陸軍中将に昇進。

明治43年(1910年)6月1日付で第13師団長に栄転。

長岡外史中将


 この胸像は、明治43年(1910年)6月から2年7か月の間、当時の旧陸軍第13師団の師団長を在任し、また、上越市が日本のスキー発祥の地となった基を築いた「長岡外史中将」の像です。

明治44年(1911年)1月、中将は、この地を訪れた当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒ少佐に、スキー専修将校を対象としたスキー術の伝授を要請し、レルヒ少佐による指導がこの地で始まりました。これが後に「日本のスキー発祥の地上越市」を全国的に決定付ける歴史的瞬間でありました。その後、軍隊だけではなく、広く民間に普及させるため、日本スキー倶楽部を上越市に創設し、さらに、全国に支部を設けるなどスキーの普及と発展に努めました。

また、中将は、桜をこよなく愛し、その育成に努めました。桜の名所100選の地に選ばれ、日本三大夜桜ともいわれる高田公園の桜。この美しい景観の礎も中将が築きました。

胸像は、本山白雲の作で、ご遺族からご寄贈いただきました。これを受け、有志の方々が中将の業績を永く伝えようと、昭和50年(1975年)10月13日、高田公園内に設置されました。その後、旧師団長官舎の移築、復原に伴い、ここに移設したものです。

大正5年(1916年)、予備役となる。

大正14年(1925年)、「宇垣軍縮」によって第13師団廃止。

昭和8年(1933年)4月22日、死去。享年76。

昭和12年(1937年)、支那事変勃発のため、第13師団復活。

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