2016年奈 良

石上神宮〜僧正遍昭の歌碑〜
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天理市布留町に石上神宮(HP)がある。


日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神。

主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)

延喜式内社である。

「延喜式神名帳」の山辺郡十三座に「石上坐布留御魂神社」とある。

石上神宮楼門


文保2年(1318年)、建立。

重要文化財である。

   ならのいそのかみでらにて郭公のなくをよめる

いその神ふるき宮この郭公こゑばかりこそむかしなりけれ

『古今和歌集』(巻第三 夏歌)

摂社出雲建雄(いずもたけお)神社拝殿


延喜式内社である。

元来は内山永久寺の鎮守住吉社の拝殿。

大正3年(1914年)、現在地に移築された。

国宝である。

石上神宮の南、山の辺の道沿いに僧正遍昭の歌碑があった。


さとはあれて人はふりにしやどなれや庭もまがきも秋ののらなる

出典は『古今和歌集』(巻第四、秋歌上)。

仁和のみかど、みこにおはしましける時、ふるのたき御覧ぜむとておはしましけるみちに、遍昭がはゝの家にやどりたまへりける時に、庭を秋ののにつくりて、おほむものがたりのついでによみてたてまつりける
僧正遍昭
さとはあれて人はふりにしやどなれや庭もまがきも秋ののらなる

 僧正遍昭は俗名良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。小倉百人一首の和歌「天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」で知られている。

貞亨5年(1688年)4月、芭蕉は石上神宮に詣でる。

石の上在原寺、井筒の井の深草生たるなど尋て、布留の社に詣、神杉など拝みて、声ばかりこそ昔なりけれと、詠し時鳥の比にさへなりけるとおもしろくて瀧山に昇る。

貞亨5年4月25日、猿雖(惣七)宛書簡

阿波野青畝夫妻の句碑があった。

いそのかみ古杉暗きおぼろかな
   青畝

よろこびを互いに語り天高し
   とい子

青畝の句は『甲子園』(昭和37年)に収録。

平成6年(1994年)6月12日、かつらぎ創刊65周年に建立。

 昭和38年(1963年)11月10日、高野素十は石上神宮に吟行。

   同十日 芹吟行 石の上神宮 二句

冬紅葉布留の宮とも云ふとかや

拍手の二つひゞきし冬日かな

『芹』

 昭和45年(1970年)9月15日、水原秋桜子は石上神宮を訪れている。

 奈良ホテルの新館を予約しておいてもらったのだが、まだ讃佛会のはじまるまでに時間があるので、石上神宮へ行く。今日は例祭の日だときいていたが、着いてみるとそれは午前中に済んだそうで、静かなものである。しばし境内を逍遥しているうちに、時刻が近づいたので唐招提寺へ行く。空がまた少し曇ってきて、良夜という好条件にはならぬらしい。

「日記抄」

   石上神宮 二句

法師蝉澄むや祭の布留の宮

栗鼠あそぶ今日を祭の布留の宮

『緑雲』

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