朱鳥(あかみどり)元年(686年)、天武天皇の御願により道明上人によって創建された。 |
永承元年(1045年)10月27日、菅原孝標女は長谷寺に到着。3日参籠。 |
初瀬川などうち過ぎて、その夜御寺に詣で着きぬ。祓へなどしてのぼる。三日さぶらひて、あかつきまかでむとてうちねぶりたる夜さり、御堂の方より、「すは、稲荷より賜はるしるしの杉よ」とてものを投げ出づるやうにするに、うちおどろきたれば夢なりけり。 |
永承4年(1049年)、菅原孝標女は再び長谷寺に3日参籠する。 |
又初瀬に詣づれば、はじめにこよなくものたのもし。ところどころにまうけなどして、行きもやらず。山城の国はゝその森などに、紅葉いとをかしきほどなり。初瀬川わたるに、 初瀬川たちかへりつゝたづぬれば杉のしるしもこのたびや見む |
初瀬に詣でて、一日二日はべりしに、早く京にての知る人来たりて、終日物語して帰られしに、申し遣はしはべりし。 初瀬山入相の鐘を聞くまでに昔を今の今日も忘れじ
『宗長日記』 |
長谷寺に法鼓轟く彼岸かな 花の寺末寺一念三千寺 御胸に春の塵とや申すべき 三月二十二日 阿波野青畝、藤岡玉骨其の他と共に長谷寺吟 行。 |
此裡に春をむかへて |
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我もけさ清僧の部也梅の花 |
登泊瀬山 救世大士をおがみおはりて勾欄にせなかをしつゝゆほびかなる東西を臨むに山おろしの風は午時の梵声にひびき樹色雨をふくみて僧房の書帙を侵す錫のたちしところ鶴のとゞまりし所も遠きにあらずかゝる不染の地なる事を 新樹ふかく大観音のあらしかな |
はつ瀬やまにのぼりて 新樹ふかく大観音のあらしかな |
長谷寺にて 石佛のかくるゝ牡丹咲きにけり 回廊や初瀬の紫雲英田はるかにて 勧学寮牡丹の客を絶ちにけり
『玄魚』 |