永久年間(1173〜7)に建立された寺で、鳥羽天皇の受戒の師であった亮恵上人の開基と伝えられています。本尊は阿弥陀如来で石上神宮の神宮寺として盛時には大伽藍を誇っていたと伝えられています。その後寺勢がおとろえ、明治の廃仏毀釈で廃寺となって、いまではわずかに池を残すだけで歴史の厳しい流れを感じさせられます。 |
句碑の文字は松尾芭蕉直筆による「貝おほひ」(寛文12年刊)から集字拡大。碑石は木堂町の厚志による旧内山町永久寺の庭石である |
この句は、松尾芭蕉(1644−1694)が江戸に下る以前、まだ出生地の伊賀上野に住んで、「宗房」と号していた頃の作品である。いつの頃にこの地を訪れて作られたか、それは明らかではないが、寛文10年(1670年)6月頃刊行の『大和順礼』(岡村正辰遍)に収められているところから、この年以前、すなわち23、4歳の頃までに詠んだものであろう。 |
〔句意〕今、内山永久寺に参詣してみると、見事なまでに満開の桜でうめつくされている。 土地の人々はこの桜の花盛りをよく知っているのであろうが外様(よその土地の人)は知るよしもないのである。 |