寛永13年(1636年)、ポルトガル人を長崎の出島に隔離。 寛永15年(1638年)2月、島原の乱を鎮圧。 寛永16年(1639年)、ポルトガル人追放命令を発布。 寛永18年(1641年)、オランダ商館を出島に移転。 |
出島は寛永13年(1636年)、キリスト教の布教を防ぐ目的で、市中に雑居していたポルトガル人を一か所に集め、住まわせるために幕府の命により造られた面積約15,000u扇形をした人工の島です。寛永16年(1639年)のポルトガル人退去後は一時無人の島となりましたが、同18年(1641年)平戸のオランダ商館がここに移され、以来安政の開国までの218年間我が国で唯一西洋に向けて開かれた窓となり、海外から新しい学術や文化が伝えられました。出島内にはオランダ商館員の住まいや倉庫などが建ち並び、家畜を飼い様々な植物が植えられていました。幕末から明治にかけての港湾改良工事などで周囲は埋め立てられ海に浮かぶ扇形の原形が失われましたが、日本の近代化に大きな役割を果たした貴重な歴史的文化遺産であることから大正11年(1922年)に国の史跡に指定されました。 |
クルーズ客船Costa Atlantica(コスタ・アトランチカ)が入港していたようだ。 |