本名久保田俊彦。明治9年、塚原浅茅の四男として上諏訪角間町に生まる。明治30年、久保田家の養嗣子。大正12年春、この歌あり。昭和29年石投場に建碑後、環境の変化により高木区民の總意にて昭和56年4月現地に移転す。 津島神社の脇の坂道を上り、畑の中の道を行くと、島木赤彦と久保田不二子の墓が並んで建っている。 島木赤彦は明治30年(1897年)21歳で下諏訪町久保田政信の養嗣子となり、長女うた(1877−1902)と結婚するが、明治35年(1902年)1月、妻死去。7月、義妹ふじの(1886−1965)と結婚。 |