「三月末より四月初めにかけ天城山の北麓なる湯ヶ島温泉に遊ぶ。附近の渓より山に山桜甚だ多し、日毎に詠みいでたるを此処にまとめつ。」と詞書がある。 |
『若山牧水歌碑インデックス』(榎本尚美、榎本篁子著)に拠れば、全国で85番目の牧水歌碑である。 |
鉢伏の山を大きく野にすゑて秋年々のつゆくさの花 | 四賀光子 |
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春鳥のいかるかの声うらかなし芽ふきけふらふ木立の中に | 若山喜志子 |
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いく重やまみやまの奥の山ざくら松にまじりて咲きいでにけり | 潮みどり |
明治21年(1988年)、若山喜志子は広丘吉田に生まれる。広丘小学校の裁縫教師であった時に赤彦が校長だった。 明治45年(1912年)4月2日、牧水は村井駅で太田喜志と会う。この時、喜志は妹の喜利を伴った。妹の喜利が潮みどりである。 |
島木赤彦は明治42年3月から同44年2月まで廣丘尋常高等小学校の校長として単身赴任、赤彦下宿跡「牛屋」が残っている。 |
明治10年(1877年)6月8日、窪田空穂は東筑摩郡和田村(現松本市和田)に生まれる。 |
明治9年(1876年)12月9日、太田水穂は広丘原新田に生まれる。 長野師範学校で赤彦と同級生であった。和田小学校教師当時、空穂宅に下宿。空穂らと和歌同好会「この花会」を結成。「この花会」で四賀光子を知る。 明治45年(1912年)5月5日、太田水穂・四賀光子夫妻の仲人で牧水は太田喜志子と結婚する。 昭和20年(1945年)4月、水穂夫妻は鎌倉から原新田の生家に疎開して敗戦を迎える。 昭和21年(1946年)12月、水穂が浅間温泉の「広丘歌会」忘年歌会に送った歌。その時は「露にぬれつつ」となっていたそうだ。 昭和27年(1952年)、曲がつけられ、広丘小学校の第二校歌となっている。 |