この姨捨駅は全国でもめずらしいスイッチバック式停車と列車給水駅として明治33年(1900年)11月1日に開始する。 善光寺平の眺望そして鏡合山から上る月がゆるやかに里に続く棚田や千曲川に映える美しさは、古来よりこの地を田毎の月と呼んでいる。 姨捨公園、長楽寺境内には名月に感動し、更科紀行で詠んだ松尾芭蕉をはじめ高浜虚子、宗祇法師などの句碑が建てられています。 また、この姨捨駅の近くを走る国鉄は、9つの駅を眺望することが出来、特に夜景は素晴しく、日本三大車窓の1つに数えられています。 |
明治42年(1909年)5月24日、河東碧梧桐は姨捨駅で束松露香に迎えられた。 |
西条駅に二人と別れて、姨捨駅に露香に迎えられた。観月堂に小休して、千曲犀川の眺望を擅(ほしいまま)にした。屋代の堀内前代議士を訪うた。 |
日本三大車窓のあと2つは、根室本線狩勝峠越え、肥薩線矢岳越えだそうだが、遠いので行けそうにない。 |
昭和20年(1945年)9月22日、高浜虚子は星野立子と姨捨観月句会。 |
九月二十二日。姨捨行。 今朝は早薪割る音や月の宿 |
九月二十二日。姨捨吟行。 姨石を濡らす雨かな月を待つ 秋風や姨石に目を見はりたる 思ひきや今年の月を姨捨に |
俳聖芭蕉翁当更科の月を観賞せしは元禄元年にして、爾来春風秋月を経て二百五十年に相当す。依てそを記念せんがため、宮沢白応氏を発起として加藤犀水博士の筆を煩わし、爰に此碑を建設するもの也。 |