昔の旅日記
上高地〜上高地温泉〜
大正10年(1921年)10月17日、若山牧水は上高地から焼岳を越えた。 |
わが伴へる老案内者に酒を与ふれば生来の好物なりとてよろこぶこと限りなし。 |
老人のよろこぶ顔はありがたし残りすくなきいのちをもちて |
焼嶽頂上 上高地より焼嶽に登る、頂上は阿蘇浅間の如く巨大なる噴火口をなすならずして随所の岩蔭より煙を噴き出すなり。 |
群山のみねのとがりのまさびしく連なれるはてに富士の嶺見ゆ 登り来て此処ゆのぞめば汝がすむひんがしのかたに富士の嶺見ゆ
『山桜の歌』 |
昭和40年(1965年)5月、山口誓子は上高地を訪れている。 |
上高地 燒岳の燒に今年の草青む
『一隅』 |
大正池は大正4年(1915年)の焼岳の噴火により梓川がせきとめられてできた池。高村光太郎が長沼智恵子と上高地温泉で落ち合ったのは大正2年(1913年)8月。その頃、大正池は無かったわけである。 |
昭和2年(1927年)年3月、「改造」に小説『河童』を発表。7月24日、龍之介は35歳で自殺する。 |
火の山の裾に夏帽振る別れ 昭和六年六月二十四日 下山。とう等焼岳の麓まで送り来る。 |
山みづにかくろひて住む岩魚をもここの泉に養ひにけり |
昭和11年(1936年)8月6日、与謝野晶子は上高地へ。翌7日、明神池を見学している。 |
梓川深山の柳絮たけなはに飛ぶ八月の穂高おろしに 燒岳のけぶりに比べ放つ絮の淡さも淡し奥山柳 明神の穂高の裾に絮(わた)を撒く柳原こそなまめかしけれ
『白桜集』(中部山岳抄) |
昭和30年(1955年)9月27日、水原秋桜子は上高地を訪れ雨の中を明神池に赴く。 |
上高地着。降りしきる雨を冒して明神池に赴く。 常澄める水の秋澄むなゝかまど 倒れ木をわたす樵路(しようじ)も水澄めり 明神池に筏をうかべて、岩魚を釣る漢あり 雨霧の蓑しろがねに岩魚釣 澄む水のしぶくや岩魚釣れきたる
『玄魚』 |