御祭神 天表春命(あめのうわはるのみこと) |
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御由緒並びに御神徳 |
御鎮座年代古く人皇第七十代後冷泉天皇の康平元年(1058年)に奥社より遷祀奉斎されました。 御祭神は中社の御祭神天八意思兼命の御子神様で、技芸、裁縫、縁結、安産、厄除、家内安全などの御神徳があり、婦女子や子供の守り神としての御霊験もあらたかにして、広く萬民に高大なるお恵みを給う大神様です。 |
昭和19年(1944年)、阿波野青畝は富岡犀川という句友の郷里戸隠を訪れる。 |
昭和22年(1947年)8月30日、高浜虚子は宝光社へ。 |
八月三十日。戸隠宝光社、富岡滞在。 いにしへの旅の心や蚤ふるふ 時に出る老の力や秋の風 山霧の襲ひ来神楽今祝詞 |
宝光社の社殿は戸隠神社5社のうち最も古く、文久元年(1861年)に建てられたものである。 神仏習合時代の面影を残す寺院建築の様式を取り入れた権現造りで、拝殿周りは宮彫師北村喜代松の彫刻による見事な龍・鳳凰・麒麟・唐獅子牡丹・象の木鼻・十二支などで飾られている。 間口は5間、奥行7間、屋根は入母屋造、妻入、銅板葺である。 この奥行の深い構造は、社殿建設では極めて例が少なく貴重な遺構と言える。 |
昭和27年(1952年)、阿波野青畝は富岡犀川に誘われて戸隠村を訪れた。 |
戸隠村 戸隠の霧のにほひも宜(うべ)ならむ 戸隠の夏は短しさるをがせ 麻刈りて大きな水車まはるなり 夕焼の極みのはてに浅間見ゆ
『紅葉の賀』 |
富岡犀川という句友に誘われて彼の郷里戸隠に登り、宝光社に宿った。やがて盆踊がはじまるというから高原の暮れるのを待つ。高原にただよう空気のきれいなことと、あざやかに赤く染まる夕焼の華やかなことは、都塵に馴れたわが目をとても楽しませた。 この方角に浅間が見えますと素朴な村人が耳打ちしてくれたので、背伸びして視線をむけた。東の雲をぬいてわずかに浅間らしい尾根を見出した。たしかに夕焼た浅間だった。頭をさらにめぐらせば信濃の高山のかずかずが空際に接して偉容を誇りがおに立っている。それらの中にあって煙を吐く浅間にそそぐ興味が強かった。 「極みのはてに」は何となく十万奥土のような遥かさを感じ、悠久の思慕をそそりたてた。 |
犀川句集に題す 戸隠の山の月夜を思ひ出で |
戸隠の明るかりける月沈む
『甲子園』 |
昭和38年(1963年)8月、中村草田男は妻子を伴い戸隠へ。大学の同僚京極興一宅に泊まる。 |
戸隠、宝光社の宮司京極家に二泊す。同家の子息は、わが勤 務先なる成蹊学園においての同僚なり。 山坊すずし古屏風画中真紅の日
『大虚鳥』 |