昭和46年(1971年)4月18日、水原秋桜子は大法寺の三重塔を見ている。 |
雨はまだ止まぬ。それに寒さも相当なのでゆっくり出発した。途中、塩田という町に廻り、大法寺の三重塔というのを見た。鎌倉時代のもので国宝である。雨の中で鶯が鳴きつづけ、枝垂桜が美しかった。天気だと花見客で雑とうするらしい。雨の方がよかったかもしれぬ。
「日記抄」 |
昭和16年(1941 年)2月5日、治安維持法違反の容疑により逮捕される(新興俳句弾圧事件)。 昭和36年(1961年)5月25日、66歳で死去。 |
朝、横山さんから栗林一石路の死を告げられる。通夜に訪れると、壺井繁治や橋本夢道、神代藤平などいて賑やか。小生酔って大いに喋り、また石原八束の家で喋る。
『金子兜太戦後俳句日記』 |
栗林一石路句碑除幕で、上田市外の青木村へゆく。山美し。特急は一杯だったが、原一行が乗っていて、席を譲ってくれる。原と軽井沢まで話し、離れていった連中の消息を聞く。この人たちに小生の反撥感なし。 句碑「シャツ雑草にぶっかけておく」。あと、文化会館で記念大会。集る者多し。
『金子兜太戦後俳句日記』 |