信玄公の死亡された所について各地に伝えられていますが、この寺は信玄公が野田城からの帰途、この駒場(こまんば)の山中で亡くなられましたので、当長岳寺に秘かにかつぎこまれ、こっそりと火葬にされたお寺です。境内に信玄公の灰塚供養の十三重の塔と遺品が残されています。
|
十三重の塔

喪を秘して軍を返すや星月夜
新田次郎の句碑があった。

木枯しやいまはた遠き信玄公火葬塚
「信玄公火葬塚」で「かそうづか」と読む。
新田次郎は長野県上諏訪生れ。
新田次郎の『武田信玄』は『歴史読本』に1965年5月号から1973年9月号まで連載された。1988年のNHK大河ドラマ『武田信玄』の原作である。
|
野田宇太郎の歌碑があった。

信玄は兜のきんの前飾り一つのこしてあとかたなし
野田宇太郎は文芸評論家。
昭和26年(1951年)、日本読書新聞に『新東京文学散歩』を連載。
土屋文明の歌碑もあった。

恵那の山見ゆるところに墓置けと文に遊びし終りの言葉
森田草平終焉の地碑

森田草平は夏目漱石の門下生の一人。
明治41年(1908年)、栃木県塩原で平塚らいてうと心中未遂事件を起こす。
昭和24年(1949年)12月14日、没。
芭蕉の句碑もあった。

雪散るや穂屋の薄のかり残し
出典は『猿蓑』。
元禄3年(1690年)、芭蕉48歳の時の句。
建立者は窪田桐羽、長岳寺二十世住職可考の二説がある。
2010年〜長 野〜に戻る
