2011年長 野

文学の道公園〜碑巡り〜
indexにもどる

諏訪市小和田南に「文学の道公園」がある。


 平成元年(1989年)11月、ふるさと創生事業として旧島崎川に総事業費1億円をかけて完成された。

諏訪にゆかりのある19名の文学者の石碑が配置されている。

「諏訪にゆかりのある文学者」といっても、知らない人が多い。

知っている人の文学碑を拾ってみた。

曽良の句碑


袂から春は出てたり松葉銭

延宝4年(1676年)正月、28歳の句。

「曽良」の俳号が初めて使われた句だそうだ。

河西周徳の句碑


呵られたむかし戀しや雪まるけ

『雪満呂気』(周徳編)巻末の句である。

 元禄10年(1697年)、上諏訪町に生まれる。露沾の門人水間沾徳に師事。曽良の姉の子を娶る。

宝暦3年(1753年)、59歳で没。

正願寺に墓がある。

四賀光子の歌碑


不二を正座に八つと甲斐駒侍立志て雲乃どん帳志つ可に下りくる

 明治18年(1885年)、長野市で生まれる。本名は太田みつ。父は諏訪郡四賀村の出身。

 明治42年(1909年)、東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)卒業とともに太田水穂と結婚。

藤森素檗の句碑


杖さえも若菜色なるあした哉

宝暦8年(1758年)、上諏訪町に生まれる。加藤暁台に俳諧を学ぶ。

福島の北の辻にある曽良の句碑に素檗の句が並刻されている。

新田次郎の文学碑


『武田信玄』 第一回 早春孤影

 晴信は石水寺へ馬を走らせることが好きだった。こゝは彼が生まれたところであり、武田の館のある躑躅が崎から、馬を走らせるに丁度よい距離でもあった。

 明治45年(1912年)、新田次郎は上諏訪町角田新田に生まれる。本名は藤原寛人。

 昭和31年(1956年)、『強力伝』で第34回直木賞を受賞。

昭和55年(1980年)2月15日、心筋梗塞のため急逝。

正願寺に墓がある。

島木赤彦の文学碑


諏訪の殿様牡丹餅好きで
宵に九つ朝七つ
二つのこして袋に入れて馬に乗るとて
ぼたんと落し
取るにや取られず棄てるにや惜しし
そこで家来衆皆目をつぶる
家来まなこは
つぶりもせうが
屋根の鴉が見てござる

 明治9年(1876年)、上諏訪角間の塚原家に生まれ、下諏訪の久保田家を継ぐ。本名俊彦。

 大正3年(1914年)、上京し伊藤左千夫に替って『アララギ』の編集に当たる。

岩波其残の句碑


四方拝すま勢られしか山可つら

 文化12年(1815年)5月12日、其残は文出村の山田家に生まれる。幼名は鉄三。

 天保元年(1830年)、高島藩士の久保島若人に師事。

 安政3年(1856年)、母の実家の岩波氏を継ぐ。

明治27年(1894年)4月5日、80歳で没。

2011年長 野〜に戻る